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Wanna be an "American-Japanese"?

A bite of my life in Oregon. アメリカでの生活をゆるく;)

正義感と自尊心と、そして愛。〜逃げ恥最終話と最近思っていること〜

 

私はどうやらミーハーらしい。

これまで菅田将暉が大好きだと言い張り校閲ガールを楽しみにこの秋は生きていたけど、ここ1週間で星野源にハマった。

 

菅田将暉と星野源とか2016年芸能界の顔の代表ではないか。

 

今までミーハーの定義がよくわかっていなかったけど、ああこういうことかと自分自身を通して実感した。

 

FNS歌謡祭で『恋』を歌う星野源を見てから、反動的に『逃げるは恥だが役に立つ』通称『逃げ恥』を見た。契約結婚とかあらすじは知っていたので最新話(最終回1話前)を見て、そっからどんどん遡っていった。止まらなかった。ドラマを後ろから見ていくなんて反則的過ぎるがそれでもおもしろいのだからすごい。ムズキュン?最高だ。昨日の最終回もテレビの前で前のめりになって見た。

 

星野源(平匡)はかっこいいし、ガッキー(みくり)はかわいいし(ガッキーは2004年くらいのニコラに出ている当時から大好きだから今もこうやって多くの人に愛されているのは本当に嬉しい)でもこのドラマを見て、考えることがいくつかあったから整理してみる。とにかく共感ポイントが多かった。

 

大幅な脱線、ご了承ください。

 

 

 

みくりはこんな小賢しい女、と自分のことを見下していた。その小賢しさのせいで今までいろんな場でウザがられてきた。でもその小賢しさはなかなか変えられるものではなく、どうして自分はいつもこうなんだろうと悩んでいた。

 

あのさ、小賢しさって、正義感なんじゃないかな。

 

私も、「自分ってもしや正義感が変に強いんじゃないか」とこの間疑ったばかりだった。正義感と検索をかけてみると、「正義感の強い人 嫌われる」という内容が圧倒的に多かった。

 

正義感の強い人はなぜ、嫌われるのか、ウザがられるのか。

 

めんどくさいだのウザいだの苦手だの、いつか自分もそういう人によって裁かれるかもしれないから仲良くしない方がいいだのといった意見も目にした。

 

なにコイツきれいごとを言っているんだと思われるかもしれない。わかっているけど指摘されたくないことを真正面から言われるのを嫌う人はたくさんいる。コイツめんどくさいからいいよと、これもまた、勝手にイメージづけされて見られるキッカケになってしまうかもしれない。

 

 

でも、正義感が本当は強い人のなかにも、他人からどう思われるかを恐れている人はいる。こう言ったらこう思われるのではないか、それこそ、また小賢しいとウザがられるのではないか、と。ウザいと思われたらなかなか輪に入れてもらえなくなってしまうかもしれないのが、悲しきかな今の社会でもある。

 

まあいろんな人が異なった価値観の元にそれぞれの正義を生み出しているわけだけど、自分が信じる正しいことを押し付けようとするから、「この人苦手」を感じさせてしまうのだろう。そもそも正しいことなんて人によって異なるし、状況によっても違う。決してひとつじゃない。

 

例えば簡単な例でいくと、他人と他人が 浮気をしていようと、不快にはなるけど極論を言えば関係ない。自分のなかの正義感を持ってそういう人たちに真っ向勝負を挑むこともできるけど、うるさいと思われて終わる。なんでもかんでも過度な正義感を振りかざすのは、良かれと思っていても、あまり為にならないようだ。いろんな立場の意見を聞いて、ふーんと思って、人のふり見て我がふり直せに使わせていただく程度がもしかしたらちょうどいいのかもしれない。世のすべてを一刀両断して歩いていたら、気持ちに余裕がなくなってしまう。それはよろしくない。

 

話ついでに、人のこと、傷つけないでね。というのが、全国の浮気及び人のココロを弄んでいる人への私からのメッセージ。心の傷つき方は人それぞれで、それは外部の人間が「これくらいなら大丈夫だろう」とか決めつけるもんじゃない。

 

ちなみに、正義感が強い(いい人だ)と見せかけている人は、自分にとっての許容範囲内、正しいことなら良いと思っている。でも自分がよければそれでいいってわけじゃない。思いやりを忘れているような人が語る正しいことは、どうも聞き流したくなってしまう。 

 

  

柔軟性と正義感の両立が求められている。でも、文句ばかり言っているより、まっすぐ生きている人から学ぶものの方が断然多いだろう。私もそうなりたい。影響を与えられる人間になりたい。過度なポリティカル・コレクトネスの話題があがったりしているけど、そういった「正しさを追い求めること」に背を向けず、いろんな人が考える正義を取り入れていきたい。

 

 

自尊感情が低いとされてきた平匡に続き、みくり自身も自尊感情が低いのは自分の方じゃないかと気づいた最終話。

 

自分が嫌い。

「私よりもあなたのことを幸せにできる、あなたとの結婚を喜んでくれる人は他にたくさんいるだろう」と思ってしまう。

 

ああ、とても、わかる。

 

私が日本に帰ってきて辛いこと。それはみんなかわいいことだ。女の子がかわいい。見た目も、中身も、かわいい子が多すぎる。そんな周りを見て、自分がモテないのは当然だと感じるようになってしまって、自分が嫌いになって、けっこうブルーな気分になった。

 

アメリカにいるときは周りと比べることはあまりなかった。肌の色も、髪の色も質も、目の色も、体格も、美しさの感覚も、もちろん性格も、なにもかも違うから、そんなもん比べようがないし、それこそ、みんな違ってみんなかわいかったりかっこよかったりきれいだったり(性格を含めた話)それぞれが評価されるべきだと思っていた。向こうにいる日本人の友達も大好きな人たちばかりだから、比べるなんて、そんなことしなかった。

 

でも日本にいると、同じ人種だし、言語の壁もないし育ってきた環境文化もほぼ同じだから言い訳もないし、周りとつい、比べてしまった。鏡に映る自分が、かわいくなくて、とにかく嫌だった。ネガティブナナコだった。

 

ましてや今バイト先に来るお客さんはカップルだらけ。彼女の方はたいていかわいいしキラキラしている。だよなあって思う。

 

もちろん人は見た目じゃない。そんなのわかってる。自分も他人のこと外見で判断しないようにしている。でも、現実的に、冷静に考えると、かわいい子と話したいと思うし、かわいい子と一緒にいたいと思うのではないか、レジを担当してくれたのがかわいい子だったら得した気分になるんじゃないか、世の男性陣。違うか?

 

かわいくないと、予選脱落してしまうのか。それに、納得しなきゃいけないのか。コミュニケーション力でも問題がある場合は、書類審査さえ、まともに見てもらえないのか。こうやって劣等感を背負って、生きていくのか。

 

「日本人と結婚したいから将来就職は日本です」なんて冗談交じりに言っているけど、こんなんじゃあまともな恋もできない。

 

うじうじ考えたのちに、笑っていればみんなかわいいという結論にたどり着きポジティブナナコを取り戻したわけだけど、いいなあと思う男性がいたとしても、他にもっとかわいい子もおもしろい子もいるし「私なんか」という気持ちは変わらない。ちょっと頑張って話しかけてみても、その会話に加わってきた女の子の方が明るかったり、素をはじけさせていたり、いわゆる女の子らしかったりと、こういう子の方がいいだろうなと思ってしまい、そこで一歩、引いてしまう。こうして友達以上の関係は、自然と望まなくなる。これが最近。

 

 

逃げ恥に話を戻して。

みくりは自分の性格のことで悩んでいて、でも、平匡はみくりのそんな部分も包み込んでくれた。

 

それはもう、恋ではなく、愛だった。

 

こんなこと言ったらどう思われるだろうか。自分の本当の性格を知ったら、自分ってこういう面も実はあるんだけど、それを知ったら引かれるだろうか。考えすぎだと思われるかもしれないけど、そういうものなのだ。

 

嫌われるのが怖い。とてもわかる。

 

でももう、恋ではなく、2人の間にあったのは愛だったから、そんな心配する必要なかった。私の大好きな人によると、「だから好き」じゃなくて「だけど好き」なのが愛なんだって。みくりの性格をまったくネガティブに捉えず、見下すこともなく、認識そして評価してくれた。温かかった。「今更ですよ」って自分が思っていた以上に相手が自分のことを知っていてくれたこと、嬉しいよね。「そんなこと知ってるよ今更なに言ってんだよばーか」って私なら言っちゃいそう。口悪くてごめんね。

 

 

最後に1つ、印象に残った言葉、それは好きの搾取だ。相手は自分のことを好きだからいいとか許してくれるとか、相手が抱いてくれている好きという感情にだけ頼っていた部分があった。好きだけではやっていけないと言っていたけど、好きという感情だけで成り立っているのは恋だ。2人で生活していくには、それ以上が必要だ。好きでいるために、好きでいてもらうために、信頼してもらうために、信頼するためには、努力し続けることが大切なのかもしれない。

 

当たり前に好きでいてくれると思い込んでいる。でも、当たり前だと思っていることこそ、実は1番感謝しなくてはいけないもの。それは恋愛関係だけでなく、話を聞いてくれる友達がいることも、一緒にごはんを食べてお出かけしてくれる家族がいることも、優しく教えてくれるバイト先の先輩がいることも、慕ってくれる後輩の子がいることも、こんな私の英語に頼ってくれる社員さんがいることも、当たり前のように見えて感謝の対象の塊なのだ。

 

みんな、ありがとう。

 

平匡さんとみくりちゃんに楽しいクリスマスがやってきますように。幸せな時間をありがとう!まだこの世の中に逃げ恥のようなドラマがあって良かった!!!

 

おわり。

 

 

P.S.

このフルーツケーキのアイスサンドがとってもおいしくてmade my dayだった♡

www.lotte.co.jp