Wanna be an "American-Japanese"?

A bite of my life in Oregon. アメリカでの生活をゆるく;)

セクハラから学ぶ “普通” とは?

 

オリオン座と白い息は似合うね。

そんな季節になったね。

ストールをぐるぐる巻きにして歩き始めました。

 

明日は今週3つめのクイズ。だから最近思っていることを手短に。

 

 

人それぞれ感覚は違う。

セクシャルハラスメントについての授業中のこと。

これってセクハラに入る?のシナリオをいくつか話し合ったけど、人によってred light(確実アウト)かyellow(なんともいえん!)かgreen(許容範囲内だろう!)か判断は違った。もし実際にそのセクハラまがいな行為を目撃したり経験してしまったら、またさらに変わってくると思う。

ちなみにcreepy lightという選択肢をつくったグループもあった。ナイス。座布団2枚。

また、Fワードを聞いただけで発狂してしまう人もいると聞いた。

 

Fワードなんて会話にもSNSとかにも溢れているし、たとえば職場内でイチャイチャしている人たちもいるだろう。(「おじさんが触ってきたキモい」とかのtypicalなやつだけでなく、employeesがunconfortableな気持ちになったり仕事に支障が出てくればそれはもうハラスメント)

その人にとっては「ノープロブレムだろう」なことも「たかが」なことも、少なからず心に影響を受けている人はいるというのが実情だ。

 

“当たり前”とか“普通”とか、その基準ってあくまでも自分の価値観なのであって(文化とか伝統とかもあるかもだけど)他人が自分と同じように物事を受け止めているかというと、まったく違う。

 

強要したり、その”普通”に当てはまらないことで見下したり弱い者扱いしたり、決めつけたり。

そんな勝手なねえ。だれだおまえっていう。

 

常に相手や周りのことを考えろってよりは、

あなたの普通は必ずしもみんなの普通ではないということ。

 

 

こういうことを考えてるとさ、じゃあどうしたらいいんだよ!ってなるんだよね。なので今言えること、お母さんがこないだ思い出させてくれたこと。直接的な解決策とかではないけれど。

 

人がして嫌なことはしないし、してもらって嬉しかったことは自分もしようっていうシンプルなことなのかなって。

 

こっちの人はよくドアを開けて待っててくれる、たとえ私が5メートル以上後ろを歩いていても。小走りで行くと、No hurry!って笑顔で言ってくれる。

私にしか答えられないような質問(っていうとarrogant だけど、小さいことでも)を聞いてくれるときも、嬉しい。

 

もしかしたらお節介って感じられちゃったりするかもしれない。人の感覚は違うからそれは仕方ない。でも、きっと何もしないよりはプラスに働くと思う。「自分」を構成するポジティブな要素になると思う。喜びの押し付けではないし、自己満足でもない、もっとピュアな気持ちからの行動。あんまり難しく考え過ぎない方がいいね。

 

傷つくとか傷つかないとか、ありえないとかありえるとか、頑張ってるとか頑張ってないとか、ものさしは人それぞれ違うということで。

 

ちなみにセクシャルハラスメントの話に戻ると、訴訟問題になったりしたときの判断基準の1つとして、reasonable personが出てきます。このreasonableは辞書的に言うと、わけわかった、道理をわきまえた人、らしい。これね、normal personではないんです。普通の人なら、ではないんです。似てるけど言い方ひとつで全然違うし、“普通”を全面的に押し付けてないのがいいネ。

 

 

ああ、大きくて、味の染みたれんこんが入っている筑前煮が食べたい。それかよく煮こまれたおでんの餅巾着の気分。

テスト勉強に戻ります。See ya!